過去の記事
楽しみも作る、あるもので作る、自分で作る!
――植月さんにお会いした印象は、わんぱくでちょっと男の子っぽいイメージがあるんです。子供の頃はどんな子だったんですか?
「兄がいたので、よくストリートファイターごっこの相手をさせられていましたね。なんか百裂キックみたいなことを練習されるんですよ。本当にできると思っているから。(笑)」
(植月さんとお兄さん)
――わんぱくですね!ストリートファイターごっこ以外は?
「友達がちょっと欲しいなって言ったものを家に帰ってこっそり作って、翌日に何気なく持って行ったりしてました。 翌日に楽しみを準備してから寝るのが日課で、学校に行くのがすごく楽しみになるような準備をしてましたね。」
――例えば?
「クッキー焼いてみたり、色々作ってみたり。明日はこれをあげよう!っていうふうに、翌日への準備をしてから寝てました。」
(成人式の為に友人の皆さんの為に作ったかんざし。作っていることを内緒にしていたので、着物の色などをこっそり聞いて下準備。)
(お母様へのプレゼントとして作ったボビンケース)
――子供の頃から、「自分で作る」ということが身近だったんですね。ご家族の影響もあったんですか?
「母がそうだったんです。今思うと良いところだったなと感じるのが、『あるもので出来るなら、あるもので作る』という考えで育ってきました。例えば、ホットケーキ。我が家ではホットケーキミックスは使ってもらった事がないんですよね。小麦粉で作れるんだから、小麦粉とベーキングパウダーで母が焼いてました。それが美味しかったんですよね。」
――作れるものは買うんじゃなくて、自分で何とかするという方針だったんですね。
「そうです。今でもやるのが、『アイロン台ないから無理』とは言わないですね。買うまで待とうよとは言わない。身近にある板や割りばしにベルト巻いて輪ゴムでとめて、ミニアイロン台を作ったり。そういう頭が働くのは、不便な状況でもお金をかけずに知恵でフォローしてくれた母のおかげですね。」
――先ほど、誰かに喜んでもらえる準備をするというお話がありましたが、初めて周りの方が喜んでくれたことって覚えてますか?
「そうですね、三歳の頃でしょうか。母が縫物してたんですよ。私もやりたかったんですが、針は危ないから『ダメ!』って怒られたんです。私も頑固だったので、すっごい半泣きで怒って。(笑)それで、ティッシュを持ってきて、黙々と爪楊枝で並縫いを始めたんですよ。
それを見ていた周りにいた大人が、うわぁーって笑ったんですよね。自分の行動で周りが笑ったり、なんかちょっと顔の表情が変わったりするっていうことに快感を得た瞬間がそこだったのかな、と思います。」
「自分で作る」が「自分”を”作る」きっかけに
――お母様は縫物をされる方だったんですね。少し話が変わりますがお兄様のほかにご兄弟はいらっしゃるんですか?
「はい。姉もいます。ちなみにファッションのスタートは姉の影響ですね。私が小学生の時に高校生でした。姉がバンドのライブにオシャレして行くのを見ていて、自ずと影響を受けていました。それで、私も小6の頃からちょっとずつ派手になっていきました。(笑)」
――小6ですか!どんなファッションをされていたんですか?
「三色の歯磨き粉みたいな色のジャージを着てましたね。(笑)白に赤と青のラインが入ってるのがなんかカッコイイと思って着てたんですよ。それから頭もめっちゃ盛ってました。」
――目立ちますね!
「卒業式の時に檀上に立ったら保護者がちょっとざわついてました。」
――(笑)
「そうやって、小学校の終わりぐらいからファッションに興味を持ち始めたんです。自分を着飾ることが大好きで何気なく過ごしていたんですが、中学の頃に長期入院をすることになったんですよ。」
――長期入院ですか。
「はい。その時に薬の服用などで顔がかなり腫れたり荒れてしまったんです。ちょうど思春期でオシャレが大好きだったのに、顔に影響が出てしまって。それで退院して学校に行く時は大きいマスクをして学校に通ってたんですよね。」
――隠したくなりますよね。
「マスクしたら見えないから大丈夫かなと思ったんですけど、給食の時にマスクを外すと見えちゃうから食べられなかった。『お腹減ってないから』とか言って、給食も食べずにずっと過ごしてました。体育できなかったし、マスクをしながら人の言葉と目線に気を張りながら生活をしている時期でした。」
――つらい時期でしたね。
「子供心にしんどくて、でも頑張って学校にも通って。ようやく吹っ切れたタイミングで2回目の入院になってしまったんです。薬はだいぶ減ったんですが、やっぱりまだ元の顔とは違うんですよね。でも、次に退院して学校に行く時は、もうマスクを取らないと自分がやばいぞって直感で思ったんです。退院して翌日学校に行かなくちゃいけないという時に、さっきお話した『翌日が楽しみになる種まき』みたいなことを、無意識にやっていたんです。」
――その時は、どんな種まきを?
「試しに母のファンデーションで顔の赤みを少し消したり、お化粧で工夫をしていったんです。眉を描いてみるかとか、前髪をこうしたらどっちが細く見えるだろうとか。そしたら少しずつ元気が出てきて、元の自分の顔に近いかもしれないって、勇気が出てきたんですよね。」
――そうなんですか。
「とりあえず元の自分の顔に戻したつもりで退院後初めて学校に行ったんですが、周りから見たらすっごい派手な人が突然来た、という感じになっていたみたい。(笑)」
(派手な人!と思われていた学生時代)
――自分では気づかないうちにお化粧が派手目になってたんですかね。
「周りも気を遣ってくれたり、突っ込みどころが満載なので逆にたくさん話し掛けてくれたんですよね。そんな勢いも手伝って学校には普通に戻れたんです。それから火が点いたように着飾っていました。それまでは手を動かして物を作れれば何でも良かったんですけど、この中学時代の経験を機に、ファッションや身にまとうものに、興味がシフトしたような気がします。」
――その後、中学・高校時代はどんなファッションをされてたんですか?
「とにかく派手でしたね。(笑)学校の先生に『若い頃は一歩はみ出すのはいいけど、お前は二歩はみ出してる』って。」
――大きくはみ出してたんですね。(笑)思春期は病気が無くても、色々と気になる年頃ですよね。
「そうですね。自分の顔を鏡で見て、『もっとこうだったらいいのに』って、思ってしまう時期ですよね。それが、私の場合は病気があったからマイナススタートで頑張らなくちゃいけなかったんです。でもこの時、自力で物事を打破できたことで少し自信にはなったのかなとは思います。」
――中学時代で、もう色々な経験をされてきたんですね。
「お客様の中にも、自分自身にコンプレックスを抱えてらっしゃる方って多いんです。そういう方の悩みには親身になってのれるし、本当に真剣に考えることが出来るんです。」
――経験者でないとわからない悩みってありますよね。
「はい。私自身が色々試してきたので、アドバイスがしやすいというのはあると思います。例えば帽子のかぶり方も、自分で自由に変えていいんじゃないかなと思うことも、なるべく伝えていくようにしたい。」
――先日、植月さんの「ベレー帽のかぶり方講座」に参加しましたが、こんなに多様なかぶり方があるんだ!と、本当に驚きました。ベレー帽だけでなく、Coco&Amiのハットは、ツバの方向を変えることも出来るんですね。
(ベレー帽のかぶり方:http://ameblo.jp/cocoxami/entry-11819289520.html)
「そうなんです!帽子のツバの上げ下げで顔色も変われば、かぶり方一つで小顔にも見える。帽子を届ける上で、デザインがカワイイだけじゃなくて、なるべくご本人の強みになるようなことも伝えたいなと思います。実は、布の帽子でブリム(帽子のツバの部分)を上向きに自然にあげるのはとても難しいんです。これは、パイピングという装飾方法を用いているのですが、このパイピングの伸び率の「たった1ミリの違い」が重要なんです。」
―― 1ミリですか!
「はい。その1ミリ、5ミリの違いを少しずつ縫い変えて技術の研究を重ねています。細かいんですけど、縁取りしているパイピングの色によっても伸び率が変わるんです。例えば黒が伸びなかったり、薄い色の方がよく伸びたり、色によっても作るものの長さが違ったりするんです。」
――1ミリ単位の違いを研究というのは、まさに職人という感じですね。
「私自身職人肌のタイプですね。『気まぐれで一点作れれば良い』という技術というよりは、できれば研究を重ねた技術を届けたい。一番良いと思ったデザインを一番良いって開発した技術で実現したいんです。風邪引いても嫌な事があっても、それに左右されて違いが出るようじゃダメだと思っています。」
(次回へ続く…)
目次
Coco&Amiの詳細はこちらから♪
ブログ:http://homepage3.nifty.com/coco-ami/
Twitter:https://twitter.com/cocoxami