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1.「100年後も愛される作品を作るために」ニット作品に込めた想い
5,6年かかって取得したニットの免許
―― いつ頃から編み物を仕事にしようと思われたんですか?
「具体的に仕事にしようと思ったわけではないのですが、ニットの免許を取得してから仕事になっていきました。」
―― ニットの免許、ですか?
「文部省認可(当時)の資格があるんです。学校と一緒で初等科、高等科、講師課程って何年かかけて勉強していくんです。テキストの課題を1つずつ作っていて、最終的に東京で試験があるんです。文部省の試験があって、それがニットの基礎や、編み物、カラーなど、いろんな知識と技術を総合した試験なんですよ。実施と筆記試験の両方に受からないといけない。」
―― 車の免許みたいですね。
「そうなんです。両方合格して初めて免許がもらえて、その免許はやっぱりしっかりした免許で、車と一緒で写真入りの免許なんですよー。」
―― どうやって勉強していくんですか?
「初等科までは母が先生でも大丈夫なんですけど、そこから上の課程は専門の先生じゃないといけないので教室に通っていました。」
―― トータルでどれくらいですか?
「えっとー…5、6年は掛かっているかな?」
―― それは、大学よりも長いですね。
「1個、1個、作品を作っていかないといけないので時間はかかりますね。」
(松岡さんのお庭の木に登るおさるさん)
―― いつから勉強し始めたんですか?
「高校の頃からです。」
―― その時には、もう作家としてやっていくぞという意志があった訳ではなく…?
「全然なかったです。その頃は好きだけで。母親が自分の代わりに教室ができたらいいから、継ぎなさいみたいな感じで。気軽なきっかけでした。」
―― 5年も続けて通われるというのは、一般的にはなかなか気軽ではないですよね…。
「そうですね、やっぱり好きだったんでしょうね!24歳の時に免許を取得しました。」
編み物教室を始めたきっかけは近所のおばちゃんの一言
―― 免許の取得までは他で働かれてたんですか?
「そうですよ。こう見えて堅い病院で。お薬をつくるお手伝いをしていました。」
―― え?それは興味深い(笑) その頃は、働きながら勉強されていたんですね。
「そうです。夕方から勉強していました。だいたい6年ぐらいは働いていたと思います。でも、病院で私、「いらっしゃいませ」って言葉を患者さんに言ってしまって。お薬渡す時に「また、どーぞ。」って言って、すっごい薬局長に怒られたんですよ。」
―― (笑)
「「お大事にやろ」って怒られて。「ごめん!」って言っていたんですけど、その患者さんもわかっているから「いいよ」って(笑)。」
―― じゃあ、病院勤務を経て、免許が取得できて24歳で独立されたんですか?
「独立っていうものでもないですけど。」
―― 今なら20代で独立っていうのは、結構あると思うんですが、当時だと珍しい気が…
「そうですかね。当時は何にもそんなこと思ってなかったんですけど。」
―― 流れで?
「「さとみちゃん、免許取ったんだったら教えて!」って近所のおばちゃんたちが来始めて、それで農協さんとか市役所の支所とかあるじゃないですか。あぁいうところの2階でサークルやっていますよね。そういう流れで始めました。」
さとみ流 「好きなことをやっちゃえ!」でテレビ局から取材依頼
―― それがきっかけで、地元の三重で編み物教室を始められたんですね。何を作る教室だったんですか?
「もう、色々です。生徒さんが作りたいのなら何でも。洋服やぬいぐるみ、マフラーなど、何でもOKでした。それって変わっているみたいで、地元のテレビ局から取材が来たんです。」
―― ほぉぉ。「何でもOK」っていう編み物教室は珍しかったんですね。
「生徒さんが作りたいもの、「こういうの作れますか?」っていうのを、「作れるよ!」「なんでもやっちゃえ」って言うから、他の先生から見ると「何なんだこの人は!」って。」
―― 一般的な教室は、作るものはある程度決まっているんですね。「何でもOK」となると、それだけ教える事ができるスキルがないとできない事ですよね。
「そうですね。それに最初に変わったことをすると、目立つようです。」
―― それでテレビの取材が来たんですね。教室が始まった頃からその方針ですか?
「20代の頃は、素直にお洋服を作っていました。でも、子供を産んで、子供の成長を見る度に「何やっても良いんじゃない?」っていうふうに思って。子供見てると、好きなことをやっちゃえ!って思ったんです。」
(個展「南フランス~動物たちの雑貨屋さん」 ドールの洋服とバッグ)
―― 子供の発想は自由ですもんね。
「それで、まず自分が作ってみたいなって思ったものを作っていたら生徒さんが、「これ作りたい」っていうのが出てきて、それでどんどん色んなものを作るようになったんです。」
―― 松岡さんの自由な発想が、生徒さんにも影響したんですかね。テレビ番組が放送された反響は何かありましたか?
「恐らく番組をご覧になってだと思うんですが、地元の銀行の窓口に行ったときに、「編み物の先生の松岡さんですよね?」って聞かれたんです。」
―― 銀行の窓口で…?
「はい、ちょっと驚きますよね(笑)。その銀行の方が、「うちに飾ってくれないか?」とお声掛けくださって。「うちの展示コーナーで是非」って言われた時に「じゃぁ、生徒さんの作品も一緒に教室の発表会みたいな感じならいいですよ」という形で始まりました。」
―― 面白いきっかけですね。松岡さんはどんな作品を飾られたのですか?
「実用的なお洋服やマフラーとかが多いですね。でも、全部お花のモチーフで出来ていたり、自分の好きな架空の動物のモチーフがついていたり。」
―― 架空の動物。ネッシーとかですか?(笑)
「いえいえ(笑) ピンク色にスパンコールとかビジューをいっぱい付けた象さんだったりとか、シルエットは猫だけど、実は1つ1つはお花だったり。」
(ネコのがま口とシュシュ )
―― 細かいですね。それは目立ちますね!
「そうなんです。そんな形で、銀行で展示をしていたら、銀行さんに来ていたお客様が、「うちのギャラリーで個展をしないか」って声を掛けてくださったんです。そこで、個展も行わせていただき、写真とかをアップしていたら、ネットショップの方からお声が掛かりました。」
―― どんどん展開が進んでいきますね。
「なんか上手に進んでいますよね(笑)。 ネットショップは洋服というよりも雑貨だったので、雑貨制作はそこから始まってますね。」
―― ご自身の作品を売られ始めたのは、ネットショップからですか?
「はい、2年ほど前からです。そのネットショップがネコちゃん中心のショップだったので、そこから動物を作っていくことになりました。」
(着せ替えドール達)
―― 動物はもともとお好きで?
「はい。実は、実家は動物王国だったんです。家が広くて、ペットが沢山いました。ウサギやニワトリ、小鳥や犬、猫もいましたよ!」
―― それは動物王国ですね!
「はい♪ なので、動物はとても好きでした。自分用に動物の編み物もしていましたが、本格的に作るようになったのは、ネットショップからです。」
―― ちなみに、ネットショップと教室は並行されていたんでしょうか?
「教室は最初の頃はやっていたんですけど、頂いたオーダーの作品を制作するのが、追いつかなくなってしまいました。教室を続けていくことが難しくなったんです。それで、生徒の皆さんに「教室を続けることが出来なくて、ごめんね」って言ったんですが、有難いことに「大丈夫よ、頑張ってね」って皆さん見送って下さいました。今は制作ばかりの日々です。」
―― 良い生徒さんに囲まれていたんですね。ネットショップを始められて、順調にオーダーは来ていたんですか?
「はい、そうなんです。去年、表参道でそのネットショップのリアル店舗みたいなのをやったんですよ。その時に、今日個展を行った、「こねこのワルツ」の店長さんもいらっしゃって。その出会いで作品を置くようになりました。」
―― この数年の流れが凄まじい速さです!
次回に続く…
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1.「100年後も愛される作品を作るために」ニット作品に込めた想い